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推敲の重要性

私達は下書きを書くことで原稿は仕上がったものだと考えがちです。しかし、ライティングのプロセスにおいては、さらに重要な作業が残っています。それはrevisionと呼ばれる推敲作業です。これまで、推敲、書き直しについては、十分な注意が払われず、その重要性はとかく無視されがちでした。

Hartwellは、ライティングの捉え方には、2種類あり、各々次のような特徴があると述べています。

1.静的モデル(static model of writing)
①書き手にとって書こうとする意味内容はすでに明確であり、ライティングとはそれを文字で表現する作業にすぎず、根本的な書き手中心の行為である
②原稿は最初から完全なものであるべきである
③推敲を行うならば、その焦点は文法やスペリングの誤りを直すことである

2.動的モデル(dynamic model of writing)
①書き手は自分の意図している内容をいかに読者にわかりやすく書くかを目標とすべきであり、最終的にライティングは読者中心の行為とならなければならない
②下書きは書き手の意図をとりあえず書き表した仮のものであり、「下書き=最終原稿」ではない
③推敲は必要不可欠であり、その焦点は時には内容面に、また時には文法面にと、必要に応じて異なる

とかく、私たちは静的モデルでライティングに臨みがちです。文学的才能に溢れた天才的人物であるならば、一度書いた即興的作品が立派な完成原稿となるでしょう。しかし、私たちのほとんどはそのような才能に恵まれてはいません。そこで、私たちがしなければならないのは、推敲を繰り返すことによって、完成に向かい一歩一歩進もうとする動的モデルを身に付けることです。翻訳者の私を含め、文章を書くことを職業としている人々の多くも、数回にのぼる推敲を重ねる作業を行っています。言葉の達人と言われる詩人のディラン・トマスでさえ、Almost any poem is fifty to a hundred revisions、翻訳すると「およそすべての詩は50回から100回にのぼる推敲から成る」と述べています。

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コメント

クレーマーさん

「感性に向かい・・・」の部分は「完成に」の誤りでした。

ご指摘いただきありがとうございました。

平井さんから返信がなかったために私は、昨日、23;50、再度メールを送りました。しかし、今日になって平井さんのブログにコメントとしてその返信があることに気付きました。


それによると、私の指摘に間違いはなかったということです。推敲の重要性を訴える文章で誤記があったということは実にお粗末なことです。それは言行不一致ともいえるものです。


私は、自分の指摘に間違いはなかったということを確認できて取りあえずは一安心しました。しかし、別な面で納得できないことがあります。それは、どうして私の指摘(問い合わせ)に対してこのブログでのコメントによる回答だったのかということです。


私は、その疑問をメールで問い合わせしました(24日と25日)。それに対して何らの返信もありませんでした。そこで私は、昨日(27日)、電話しました。電話で新井さんは「すぐメールを見てみます」と言いました。そこで私は「よろしくお願いします」と返答して電話を切りました。


しかし、夜になっても何らの電話もメールもありませんでした。そのため私は、日付が変わる10分前(23:50)に再度メールを送りました。


私はブログにはコメントしていません。メールで問い合わせしました。ですのでメールで返信があるべきではないでしょうか。その点がどうにも納得できません。

大変失礼いたしました。

実は、ここで返信したのには理由があります。

なぜだと思いますか? 「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。

>「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。


意味がわかりません。「キーワードを入れて」とはどういうことですか。どうしてそうする必要があるのですか。


「長文でご回答いただければ」もさっぱり要領を得ません。回答のしようがないことには、長文も短文もありません。

回答がありませんがどういうことでしょうか。


>ここで返信したのには理由があります。なぜだと思いますか? 「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。


メールで指摘したのにどうしてメールで返信がなかったのか、その理由がこれです。しかし、「キーワードを入れて」とはどういうことか(どこに入れるのか)、どうしてそうする必要があるのか、さっぱりわかりません。


「長文でご回答いただければ」もさっぱり要領を得ません。回答のしようがないことには、長文も短文もありません。再びメールでそのことを問い合わせしました。しかし、返信はありません。


このコメント欄でも回答はありません。どこかおかしくありませんか。

コメントの掲載ありがとうございます。
メールでの返信がないことからコメントしても承認されないものと思っていました。
ですので私のコメントが削除されずに掲載されていることに驚いています。
しかし、私のそのコメントに対する平井さんのコメントがありません。
私がわからないのはまさにその点です。
どうして私の問いかけに答えて貰えないのでしょうか。
「自分でよく考えろ」ということかとも思うのですが、どうなのでしょうか。

木戸愛落さんからコメントを頂きました。以下そのコメントです。(http://tell-me.jp/q/434147?posted=1&answer_id=6565290#ID6565290)


メールに対する返信云々ももちろんですが、そもそも 「推敲の重要性」なるものを説いておきながら、変換ミスをそのままにしてしまう杜撰さに呆れてしまいます。 本当に推敲したんですかね? 全然、説得力がないですね。

8h6a3l2 さんは、私が平井さんにどういうメールをしたのかがわからないと言う一方で、次のような見解をしています。 (http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8326846.html)


>他人様のメモ的なblogに対し長文で指摘をされたが、その内容の意味が理解できずに「翻訳」という言葉で皮肉り終了させたと思います。


私がわからないのは、なぜ「翻訳」なのか、そのキーワードをどこに入れればいいのか、ということです。もしかしたら、平井さんのネット環境と私のネット環境には大きな隔たりがあるのではないかという気もします。隔たりがあるからこそ、論点が噛み合わないのではないのではないかという気がします。どうなのでしょうかね。

記事を転載させて貰いました。
不都合なところがありましたらご指摘ください。
ありがとうございました。


 なぜブログか 63 推敲の重要性
 http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2013-11-07

Rin さんからコメントを頂きました。
http://tell-me.jp/q/439261?latest=1&notify_type=questions


>読みましたが、意味がわかりませんでした。翻訳の意味もわからないし、相手の回答もわからない。 相手は何が言いたいのでしょうね。


私も平井さんの考えていることがまったくわかりません。いったいどういうことですか。どうしてコメントに応えてもらえないのですか。

貴殿のブログ61が答えです。

平井さんは、「翻訳者の私を含め、文章を書くことを職業としている人々の多く」が「数回にのぼる推敲を重ねる作業を行っています」と言っています。しかし、「推敲の重要性」には誤記(漢字変換ミス)がありました。これはよくあり得る単純なミスです。しかし、当該記事においてはそういうミスがあるのはその主張の説得力を欠きます。


平井さんからは「ご指摘いただきありがとうございました」というコメント(10月27日 22:19)を頂きました。しかし、私は平井さんのそのコメントに納得がいきませんでした。そこでそのことをブログのコメント欄で表明しました(10月28日 10:22)。それに対して平井さんからすぐに返信のコメント(10月28日 13:33)を頂きました。しかし、そのコメントもさっぱり訳がわからないものでした。


「ここで返信したのには理由があります。なぜだと思いますか?」などという、訳のわからない釈明をどうしてする必要があったのですか。素直に「すみませんでした」と言っておけば済んだはずです。私が時間を掛けて平井さんに執拗にコメントを求める必要などなかったのです。


私は、平井さんのコメントが納得できなかったためにさらにコメントしました。しかし、その後は平井さんから返信のコメントはありませんでした。8件のコメントをした後、ようやく平井さんからコメントがありました(11月6日 23:03)。9日ぶりでした。


しかしそのコメントは、僅か1行の短いものでした。文字数にしてたったの13字。これで何がわかるというのでしょうか。もっと誠意ある回答があっていいと思うのですが、どうでしょうか。


「貴殿のブログ61」というのは私のブログの「なぜブログか 61」という記事のことだと思いますが、「貴殿のブログ61」という言い方は、極めて傲慢不遜です。少なくともそれを言うのなら、「貴殿の『なぜブログか 61』と言うべきではありませんか。


「なぜブログか 61」は私が書きました。しかし、それが回答であると言われても私は何のことかさっぱりわかりません。書いた本人がわからないのでは平井さんのそのコメントは回答としては不適切と言わざるを得ません。


ここにあらためてお願いします。どういう事かわかりやすく説明してください(聞きたいことのポイントを下記に列挙しましたのでよろしくお願いします)。


質問その1 「翻訳」というキーワードはどこに入れればいいのですか。
質問その2 なぜ「翻訳」なのですか。なぜそうする必要があるのですか。
質問その3 私が質問しているのに、どうして私が回答しなければいけないのですか。
質問その4 回答するにしてもなぜ「長文で」なければいけないのですか。
質問その5 「貴殿のブログ61が答えです」とはどういうことですか。

クレーマーさん

「感性に向かい・・・」の部分は「完成に」の誤りでした。

ご指摘いただきありがとうございました。


これでいいんじゃあねえかな
クレーマーさんよ、しつこいぜ。粘着質というよりか、オタクはアタマいかれてるの?
平井さんは素直に間違い認めてるのだからさあ あとナニを要求したいの?
クレーマーさんの添削が優秀だと自慢したいだけでしょう
平井さんを相手に、無礼にもほどがあるぜ
でもって、文の書き方が優秀だというオタクのブログを閲覧したところ、誤字や脱字が少々散見されましたぜ
どこかって? オタクが確認しなよ。すぐにわかるから
たしかにオタクの文の中には優秀な文もある。他著や他人のブログを批判するときだけはな
だけど、ほとんどがオタクのブログ記事は、他人の著書やブログなどから引用しているだけですねえ
オタクの思想や信条つうもの、自分で記述できないの? それとも自信がないから他著の記事ばかり引用するの?
著名人の著書やブログ記事にイチャモンつけるのやめたら。みっともないねえ オタクが書いた本教えてくれる? 一度読んでみたくなったからさあ。きっとすごい作品だろうなあ

雨の訪問者様

貴重なコメント、ありがとうございます。

6日の「貴殿のブログ61が答えです」という平井さんのコメントに対して私は、8日に返信のコメントをしました。 そのコメントで私は質問のポイントを5つに絞って平井さんに回答を求めました。 しかし、それに対する平井さんの回答がまだありません。 いったいどういうことですか。


平井さんに代わって「雨の訪問者」さんがコメントしていますが、なぜ第三者に頼るのですか。 なぜ自分の言葉で回答しないのですか。


「雨の訪問者」さんがコメントして僅か15分後に平井さんは返礼のコメントをしています。 私のコメントに応えずに平井さんにとって都合のいいコメントにはすぐ応えるというのが賢明な対応ですか。


「雨の訪問者」さんと平井さんはどういう関係があるのですか。 勘ぐればいろいろなケースが考えられます。 「雨の訪問者」さんのコメントに対して平井さんはまったくその通りだと言いたいのですか。 「雨の訪問者」さんは、平井さんの言いたいことを代弁しているのですか。

クレーマーさん
貴兄におことわりしておきますが 私は平井さんと何ら一切の関係がありませんのでご承知のほどを >ー<
私は都内在住の浅井という精神科医です。フルネームは勘弁してくださいね >・○・<
あなたのような人物は 私のフルネームを教えたらきっと 私の勤務している病院を調べ上げるでしょうから >ー<
そうなれば、私の職場は大変混乱することが明白なため あなたに姓だけを教えることにしました
私ですが 精神科医師歴20年の まあそれなりの医者ですよ
最近は”ネット依存症例”について研究しているため あらゆるブログから それと思うような記事について 特に検索していたのです
先日の乱暴な私のコメントですが  どうかお許しくださいね >・○・<
あれは 私ら精神科医特有の問診の一環です 
かなり不仕付けな質問攻めで患者の反応を観察し 病状について明らかにする手法の一つとでも申しましょうか
あまり気にされないでくださいね
クレーマーさん 率直に申し上げますと 貴兄は”統合失調症” いわゆる昔は精神分裂病といわれた病の中期程度かと診断します
ほかにも”人格障害” いわゆる「パーソナル障害」という 対人障害も併病しているようです この病ですが 実にやっかいな病でして 最近問題になっております「ストーカー犯罪」を引き起こす人物に見られるのが特徴的ですね
私が想像するには 貴兄に友人の存在維持が 大変困難なことではないでしょうか
貴兄の過去のブログも見させて頂きましたが 病的な貴兄から 著名人などへの質問やコメントの応酬に ただでさえ多忙なる皆さんは辟易しているようです
だから 平井さんなどは貴兄に返信されないということを よくご理解してくださいね
一刻もはやく 貴兄が近隣の精神科医を訪ねることを勧めたいのですが
一歩間違えれば 貴兄は他害行為などに及ぶ恐れがあり かなり深刻な状況です
たまには外出して 映画観賞 音楽鑑賞 旅行などで気分転換されたらどうでしょうか

こちらで返答した理由はSEO対策です。

電話をしてきた時点で、こちらにたくさんのコメントをするだろうと考えました。

狙っているキーワードは「翻訳」「医学」「医療翻訳」「医薬」「論文」などです。

だから「翻訳というキーワードを入れた長文」で回答してくれと言ったのです。期待に応えてくれたので感謝しているぐらいです。

クレーマーさんのブログを拝見しました。こちらでコメントの応酬をしていただきたかったのですが・・・

私からの返答がなくてもどんどんコメントして頂ければと思います。他の記事のところでも結構です。

(転載とトラックバックはご遠慮ください)

知恵袋からこちらへいらっしゃた方、ここでコメントして頂けると主は喜びます。

クレーマー殿
1回ビョーインにいきましょう
平井氏への口撃イジョーすぎるニャア~

>電話をしてきた時点で、こちらにたくさんのコメントをするだろうと考えました。


 
電話をしたのは返信がなかったからです。平井さんがメールを見ていない可能性があったために私は電話しました。そうしたところ、平井さんは「今から見てみます」と言いました。私が思っていた通りメールに気付いていなかったわけです。


 
どうして、私がコメントしなければいけないのですか。平井さんがそう思う根拠がわかりません。メールで返信がないために私はブログを見てみました。そうしたら記事が訂正されていました。そしてコメント欄に平井さんのコメントがありました。平井さんがコメント欄でコメントしたのを私は問題にしていません。メールで一言あってよかったのではないのかと言っているのです。ですので、平井さんが私のメールを見た後でそれに返信しておけば何ら問題はなかったのです。


 
そもそも、当初は「推敲の重要性」にコメント欄はありませんでした。コメント欄があればそこでコメントしていました。コメントできないために私はメールしました。メールしても返信がないために電話しました。「こちらにたくさんのコメントをするだろう」というのは甚だしい事実誤認です。コメント欄がない状況ではコメントできないではないですか!!


 
>だから「翻訳というキーワードを入れた長文」で回答してくれと言ったのです。
>期待に応えてくれたので感謝しているぐらいです。


 
「だから・・・」は説明になっていません。メールで返信せずになぜコメント欄で返信したかという理由を平井さんは私に逆質問しました。そんなことを私がどうしてわかるのですか。そういう質問をする(回答を求める)こと自体が極めて異常です。


 

仮に平井さんと私の立場が逆転して、平井さんが私の場合だったらどう回答しましたか。回答例を示してください。場合によっては「なるほど」と思えるかもしれません。申し訳ないのですが私は、平井さんの期待に応えたつもりは毛頭ありません。勘違いもいい加減にしてください。

   

samegreenerさんからの回答 (抜粋)

そのブログでのやり取りを拝見した上で回答します。
漠然と回答すると分かりにくいので、ポイントごとにコメントします。
敢えて耳の痛い話も書きますので、ご容赦くださいね。


(1)メールへの返信をブログで返すのはどうか

ブログという公開の場で自分の誤記を認めるのは誠実だと思います。
非公開のメールなら秘密裏に終わるのに、誤記の存在を自ら公開したのです。
恐らくそれが、相手さんがブログで返した本当の目的でしょう。

とは言え、ブログを見ないと返信に気づけないのは不便ですね。
強制するほどではないですが、欲を言えば両方で返して欲しかったです。

ちなみに一般的なネットマナーにおいては、返信の義務はないとされています。
このYahoo知恵袋での回答でも、義務という回答はほとんど見かけません。
義務という考えを戒める意見が現在の主流です。


(2)キーワードや長文を求めた逆質問の意味は

貴方に苛立って、挑発や腹いせとして書いた返信だと思われます。

キーワードや長文の指定も腹いせでしょう。
「SEOで貢献しろや」「俺のために手間をかけて書けよ」など。
本気ではなく、苛立ちを嫌味で伝えようとしたのでしょう。

苛立ちの理由については、後述します。


(3)その方の言うSEO対策とは

自分のブログ記事を検索にヒットしやすくする、ということです。
そのために、ページ内に関連語句を掲載したいのです。
ただ、SEOは本当の目的ではなく、上述の通り、苛立ちゆえの腹いせでしょう。

>文章は、最初から仕上がりを意識して、簡潔、明確に書く、というようにしたい


「書く」ことだけでなく何かをする場合、最終的に目指すものがあります。大勢の人に向かって話をする場合には「伝える」という目的があります。「書く」場合にも、「話す」場合と同様の目的がありますが、記録として残すという目的もあります。


平井さんは「仕上がりを意識して云々」といいます。しかし、そうする必要がどうしてあるのでしょうか。また、「簡単、明確に書くべし」ということを言っていますが、それは言うまでもないことです。重要なのは、どうやったら「簡単、明確」に書くことができるかということです。「書く」ことが苦手な人は、そこがわからないために「書く」ことを遠ざけているといえるのではないでしょうか。


「跡で直せばいい」といういいかげんな姿勢で臨むべきではないと平井さんは言います(この「跡」は「後」の間違い?)。「跡で(後で?)書き直せばいい」というのがどうしていい加減なのか、どうにも合点がいきません。


私などはこのブログの記事を何度も書き直しています。作成途中のものを公開しています。これは、自分の思考経過を記録する目的のためにそうしています。平井さんの主張とは大きく食い違います。


推敲の重要性   ← 主張が矛盾…(?)

http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c3b9-1.html

>書き始めるときはあくまで、「跡で直せばいい」といういいかげんな姿勢で臨むべきではありません。


平井さんがいかなる姿勢で論文を書こうともそれは平井さんの自由です。しかし、平井さんがそれ(平井さんにおける論文を書くときの姿勢)を他人に押し付けるのは傲慢ではありませんか。「私はこういう姿勢で書いている」というのなら「なるほど」と思います。


しかし、「こうあるべき」という書き方には拒否反応があるのは当然ではありませんか。平井さんのその書き方に拒否反応を抱くのは私だけではないはずです。もっとも、そういう拒否反応を意図してそういう書き方をしているとしたら話は別ですが……。


平井さんは、間違ったらには後で書き直せばいいという考えを「いい加減な姿勢」だと批判しています。しかし、「後で」と表記すべきところを「跡で」という間違った表記をしています。「推敲の重要性」を主張する一方で誤記があるというのは、それこそ「いい加減」ではありませんか。もしかしたら、平井さんはわざと間違った表記をして読者の反応を見ようとしてはいませんか。


どうなのですか。平井さん。私は平井さんに踊らされているのでしょうか。平井さんのコメントをお待ちします。


平井将秀さんは、「感性」についてはすぐにその誤りを認めました。しかし、「跡で」については未だに(指摘してから4日経過)その誤りを認めていません。もしかしたら「跡で」は間違いではないのかもしれません。
間違っていないのならどうしてそのことをコメントしないのかと思います。まったく訳がわかりません。
泉ウタマロさんに至っては、ブログの記事はまったく訂正されていません。これも訳がわかりません。もしかしたら、あえて訂正するまでもない、単純なミスだとでも言いたいのかとも思います。果たしてどうなのか???
2013.11.29 10:00 現在、平井さんもウタマロさんも記事を訂正していません。
メールも毎日何度も送っているのになぜ返信してくれないのか。
物理的手段に頼ることになりますよ。
by クレーマー&クレーマー (2013-11-29 10:00)

クレーマーさん 
浅井さんへのストーカー行為にうんざりです!!!! 
いますぐ 精神科医に相談されたし <ー○ー>

クレーマーさん 
浅井さんへのストーカー行為にうんざりです!!!! 
いますぐ 精神科医に相談されたし <ー○ー>

クレーマー殿
今年もあと2週間
なぜビョーインに行かないのですかー
年内にビョーインに行ったほうがいいですよー

あなたがブログやメルマガを書くとき、記事のタイトルはどうやって決めていますか?

私は、たいてい、記事の内容に応じて、あまり深く考えずに反射神経で付けています。
私の場合、参考にするのは、過去にメモして記憶している企業のキャッチコピーや、
他の人のブログやメルマガタイトルだったりします。

といっても、このタイトルを真似しようとか、このキャッチコピーを参考にしようとは考えて
おらず、頭の中にあるストックから引き出して、組み合わせたり削除したりして作っています。

キャッチーなタイトルを付けるノウハウは編集者時代に身につけているので、特に意識
しなくても、自然とキャッチーにしているかもしれません。

以上、【365日の書く力!】 最高のタイトルの見つけ方 (2014.2.4 配信) より


>私の場合、参考にするのは、過去にメモして記憶している企業のキャッチコピーや・・・・・・
>といっても、・・・・・・このキャッチコピーを参考にしようとは考えておらず、


言っていることが矛盾している。これはつまるところ、言葉(表現)が不適切ということ。
これを読んで「おやっ?」と思わないのは、よく読んでいないということ。
書いた本人自身が十分に推敲していないからこういうことになる。まさにこれは、
「推敲の重要性」を訴えていながらその文章に誤記があるのと変わらない。

読みやすい文章 VS 読みにくい文章

読みにくい文章は読み手に大きな負担を掛ける

段落の設定がなく、文字がぎっしり詰まった文章は読みにくいことこの上ない。そういう文章を好き好んで読む読者はいない。しかし、それを仕方なしに読まざるを得ない読者にとって、そういう文章は極めて迷惑な存在だ。そこにあるのは著者の独り善がりそのものだ。

視覚的に読みやすいということは大前提だが、難しい言葉を使うことが偉いと勘違いしている著者もいる。難しいことを平易な言葉でわかりやすく書くことこそ、その著者が高い能力を持っていることを示す。勘違いも甚だしい。

ダメなライターのダメな文章
http://anond.hatelabo.jp/20110223195508

無駄な言葉を並びたてる翻訳
http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post-1c7c.html

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